2019年06月04日
754 チェコ.デザイン100年の旅
■2019年5月6日(月・振替休日) 晴
10連休あったゴールデンウィークも本日が最終日。
天気予報では曇時々雨でしたが、朝起きてみると快晴でした。
よし! サイクリングを兼ねて岡崎市美術博物館へ行こう!
農業大学校勤務の時に頂いた招待券があったからです。期限は5月19日(日)まで。今日行かないと、行ける日がなくなるかもしれません。
堀田駅から東岡崎駅まで輪行し、美術博物館までは7km程。ちょうど11時に着きました。
今回の展示は「チェコ.デザイン100年の旅」です。
今はチェコとスロバキアは別々の国になりましたが、チェコスロバキアというと、名古屋グランパスのレジェンド、ストイコビッチ選手とサッカー日本代表のオシム監督を思い出します。
正直、それ以外にあまり親しみがありません。
本展は、家具、食器、ポスター、おもちゃ、書籍、アニメーションなどを展示する日本初の総合的なチェコ・デザイン展だそうです。
複雑な造形ではなく、とてもシンプルなデザインの作品が多い印象でした。
私が最も興味をそそられたのが、『チェゼタ・スクーター501型』です。
最先端に一灯のヘッドランプが付いており、豚の鼻を想起させ、ホイールベースが長い外観で、「ピッグ」の愛称で親しまれたそうです。白と青の上下ツートンカラーのためか、何となくモーターボートを連想しました。方向指示器がないのも変わっています。
もう一つ、「SKODA(シュコダ)」という自動車のポスターがありました。調べてみると、1895年創業で120年以上の歴史あるメーカーです。初めて聞く自動車ブランドです。私は見たことがありません。1991年にドイツのフォルクスワーゲンの一員となり、ドイツでは結構人気のある車だそうです。
1時間20分ほど鑑賞し、昼食を求めて、岡崎中心街に自転車を走らせました。
梅園小学校近くにあった「鶏そば屋 天頂」に入店。鶏白湯ラーメン1玉セット(950円、税込み)を注文。この店の一番の特徴は、チャーハン、白飯、煮玉子、鶏肉、野菜、漬け物、味付け海苔などが食べ放題だということです。
どれも美味しくて、味も量も十分満足しました。
備前屋でどら焼きを買って、往路は自宅まで自走しました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:47km(累積118km)
走行時間:3時間04分
活動時間:6時間50分(午前9時15分自宅発、堀田駅9時38分発急行豊川稲荷行き乗車、午後4時05分自宅着)
10連休あったゴールデンウィークも本日が最終日。
天気予報では曇時々雨でしたが、朝起きてみると快晴でした。
よし! サイクリングを兼ねて岡崎市美術博物館へ行こう!
農業大学校勤務の時に頂いた招待券があったからです。期限は5月19日(日)まで。今日行かないと、行ける日がなくなるかもしれません。
堀田駅から東岡崎駅まで輪行し、美術博物館までは7km程。ちょうど11時に着きました。
今回の展示は「チェコ.デザイン100年の旅」です。
今はチェコとスロバキアは別々の国になりましたが、チェコスロバキアというと、名古屋グランパスのレジェンド、ストイコビッチ選手とサッカー日本代表のオシム監督を思い出します。
正直、それ以外にあまり親しみがありません。
本展は、家具、食器、ポスター、おもちゃ、書籍、アニメーションなどを展示する日本初の総合的なチェコ・デザイン展だそうです。
複雑な造形ではなく、とてもシンプルなデザインの作品が多い印象でした。
私が最も興味をそそられたのが、『チェゼタ・スクーター501型』です。
最先端に一灯のヘッドランプが付いており、豚の鼻を想起させ、ホイールベースが長い外観で、「ピッグ」の愛称で親しまれたそうです。白と青の上下ツートンカラーのためか、何となくモーターボートを連想しました。方向指示器がないのも変わっています。
もう一つ、「SKODA(シュコダ)」という自動車のポスターがありました。調べてみると、1895年創業で120年以上の歴史あるメーカーです。初めて聞く自動車ブランドです。私は見たことがありません。1991年にドイツのフォルクスワーゲンの一員となり、ドイツでは結構人気のある車だそうです。
1時間20分ほど鑑賞し、昼食を求めて、岡崎中心街に自転車を走らせました。
梅園小学校近くにあった「鶏そば屋 天頂」に入店。鶏白湯ラーメン1玉セット(950円、税込み)を注文。この店の一番の特徴は、チャーハン、白飯、煮玉子、鶏肉、野菜、漬け物、味付け海苔などが食べ放題だということです。
どれも美味しくて、味も量も十分満足しました。
備前屋でどら焼きを買って、往路は自宅まで自走しました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:47km(累積118km)
走行時間:3時間04分
活動時間:6時間50分(午前9時15分自宅発、堀田駅9時38分発急行豊川稲荷行き乗車、午後4時05分自宅着)
2019年01月23日
713 岡崎市美術博物館びっくり箱~集める伝えるこれからも~
■2019年1月12日(土) 曇
岡崎市美術博物館の無料招待券がありましたので、鑑賞に行きました。
輪行も考えましたが、雨の心配があったので電車と徒歩で行きました。
名鉄男川駅からウォーキング。丘の上にある美術博物館を目指します。約4km、50分ほどで到着しました。
今回はごったに展覧会といった感じです。
岡崎市美術博物館の収蔵品の中から7つのテーマで展示されています。
Ⅰ キリスト教美術
Ⅱ 「祈り」の造形-岡崎における信仰の軌跡
この2つのコーナーは、西洋と東洋・日本との対照、神と仏との対照、キリストと仏像との対照が面白いですし、全く違う空間、空気を感じました。
Ⅲ 出土品でたどる岡崎の歴史と交流
岡崎市は山と川があり、旧石器時代からの遺跡が多く見つかっています。鳥や犬の飾りの付いた須恵器が奇妙な形で興味深かったです。
Ⅳ 岡崎城絵図の比較
城に興味がないと、あまり面白くない展示です。どれも同じように見えてしまいます。
Ⅴ 浮世絵が描いた矢矧橋
今回の展示で最も関心を引いた展示です。
矢矧橋は東海道随一の長さを誇る橋で、岡崎宿のランドマークでした。葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵は、同じ矢矧橋でも表現の仕方が違ってとても面白いです。なかでも、橋桁が流されて橋脚だけを描いた河鍋暁斎という人の作品は、ひときわ目を引きました。
Ⅵ 蔵出し!美博秘蔵?の古文書たち
古文書は、字が達筆すぎてほとんど読めません。でも、毛利元就や足利尊氏、千利休などのビッグネームの古文書、室町時代や安土桃山時代の古文書がよく保存されていたものだと感嘆します。
Ⅶ 志賀重昂と日露戦争
志賀重昂が地理学者ということは知っていましたが、岡崎生まれであることは知りませんでした。展示品はロシア兵の軍帽や革袋、乃木希典の漢詩など戦争関連の資料で、私としては暗い気持ちにさせられました。
歩行距離:8km
使用シューズ:ワールドマーチ
岡崎市美術博物館の無料招待券がありましたので、鑑賞に行きました。
輪行も考えましたが、雨の心配があったので電車と徒歩で行きました。
名鉄男川駅からウォーキング。丘の上にある美術博物館を目指します。約4km、50分ほどで到着しました。
今回はごったに展覧会といった感じです。
岡崎市美術博物館の収蔵品の中から7つのテーマで展示されています。
Ⅰ キリスト教美術
Ⅱ 「祈り」の造形-岡崎における信仰の軌跡
この2つのコーナーは、西洋と東洋・日本との対照、神と仏との対照、キリストと仏像との対照が面白いですし、全く違う空間、空気を感じました。
Ⅲ 出土品でたどる岡崎の歴史と交流
岡崎市は山と川があり、旧石器時代からの遺跡が多く見つかっています。鳥や犬の飾りの付いた須恵器が奇妙な形で興味深かったです。
Ⅳ 岡崎城絵図の比較
城に興味がないと、あまり面白くない展示です。どれも同じように見えてしまいます。
Ⅴ 浮世絵が描いた矢矧橋
今回の展示で最も関心を引いた展示です。
矢矧橋は東海道随一の長さを誇る橋で、岡崎宿のランドマークでした。葛飾北斎や歌川広重らの浮世絵は、同じ矢矧橋でも表現の仕方が違ってとても面白いです。なかでも、橋桁が流されて橋脚だけを描いた河鍋暁斎という人の作品は、ひときわ目を引きました。
Ⅵ 蔵出し!美博秘蔵?の古文書たち
古文書は、字が達筆すぎてほとんど読めません。でも、毛利元就や足利尊氏、千利休などのビッグネームの古文書、室町時代や安土桃山時代の古文書がよく保存されていたものだと感嘆します。
Ⅶ 志賀重昂と日露戦争
志賀重昂が地理学者ということは知っていましたが、岡崎生まれであることは知りませんでした。展示品はロシア兵の軍帽や革袋、乃木希典の漢詩など戦争関連の資料で、私としては暗い気持ちにさせられました。
歩行距離:8km
使用シューズ:ワールドマーチ
2018年11月21日
686 近代日本の挑戦者たち-博覧会にみる明治の三河
★2018年11月4日(日) 雨ときどき曇
自転車で走るつもりで早く起きたのに、外は雨。
予定を変更して、電車とバスで岡崎市美術博物館へ行きました。
今年は、日本の近代化への第一歩となった明治維新(明治元年・1868年)から150年となる年です。
今開催されているのは、日本の近代化に多大な影響を与えた博覧会をとおして、明治期における三河地域の歴史と産業を紹介する展覧会です。
山野河海に恵まれた三河は古くから多様な産業が発達しました。
岡崎で有名な企業としては、なんと言っても、「まるや八丁味噌」と「カクキュー八丁味噌」でしょう。
岡崎市八帖町はかつて「八丁村」といわれていました。これは岡崎城より西へ八町(約800m)離れていたことに由来します。この八丁村で、早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が、兵食として重要視されてきた味噌に着目し、味噌醸造を創業したことに始まります。
この展覧会で初めて知ったのが、服部工業です。近代化の大きな原動力となった鋳造の会社です。当時鋳造された大きな釜や作業場の様子が写された古い写真などが展示されていました。現在は、業務用厨房機器の専業メーカーになっています。
また、紡績業も多大な功績を残しています。ガラ紡の技術が、内国勧業博覧会での交流で三河の産業発展に影響を与えました。
展示の最後にあった「大正五年岡崎鳥瞰図屏風」は最も印象に残った作品です。当時の岡崎の街並み、行き交う人々の様子が、やや漫画チックに、事細かに、大きな屏風に描かれています。平成27年制作の新しいものですが、歴史を感じさせる作品です。
この展覧会は岡崎市の産業と文化の系譜がコンパクトに展示されていて、とても勉強になりました。
自転車で走るつもりで早く起きたのに、外は雨。
予定を変更して、電車とバスで岡崎市美術博物館へ行きました。
今年は、日本の近代化への第一歩となった明治維新(明治元年・1868年)から150年となる年です。
今開催されているのは、日本の近代化に多大な影響を与えた博覧会をとおして、明治期における三河地域の歴史と産業を紹介する展覧会です。
山野河海に恵まれた三河は古くから多様な産業が発達しました。
岡崎で有名な企業としては、なんと言っても、「まるや八丁味噌」と「カクキュー八丁味噌」でしょう。
岡崎市八帖町はかつて「八丁村」といわれていました。これは岡崎城より西へ八町(約800m)離れていたことに由来します。この八丁村で、早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が、兵食として重要視されてきた味噌に着目し、味噌醸造を創業したことに始まります。
この展覧会で初めて知ったのが、服部工業です。近代化の大きな原動力となった鋳造の会社です。当時鋳造された大きな釜や作業場の様子が写された古い写真などが展示されていました。現在は、業務用厨房機器の専業メーカーになっています。
また、紡績業も多大な功績を残しています。ガラ紡の技術が、内国勧業博覧会での交流で三河の産業発展に影響を与えました。
展示の最後にあった「大正五年岡崎鳥瞰図屏風」は最も印象に残った作品です。当時の岡崎の街並み、行き交う人々の様子が、やや漫画チックに、事細かに、大きな屏風に描かれています。平成27年制作の新しいものですが、歴史を感じさせる作品です。
この展覧会は岡崎市の産業と文化の系譜がコンパクトに展示されていて、とても勉強になりました。
2018年09月22日
666 ジョルジュ・ブラック-宝飾デザインの輝き
★2018年9月16日(日) 晴
ジョルジュ・ブラック(1882~1963年)は、パブロ・ピカソらとともに20世紀に活躍したフランスの芸術家です。
岡崎市美術博物館での彼の企画展を鑑賞に行きました。
ブラックの特徴は、一つのモチーフを平面と立体で表現していることです。絵画、陶磁器、ジュエリー、彫刻、ステンドグラス、タピストリー、リトグラフ、モザイク画と、様々な形で表現されています。
例えば、「ペリアスとネレウス」という作品は、絵画あり、壷(陶器)あり、リトグラフありとバラエティ豊かです。
鳥、魚、馬、女性をモチーフにした作品が多いことがわかります。
これらの作品は陶器工房や職人によって造形されたものだそうです。
今回のような企画展、ブラックのような作家の作品展は初めてで、見ていて飽きが来ないし、単純に面白いなと思いました。
往路は東岡崎から美術博物館へ、復路は美合まで自転車で行きました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:14.3km(累積71km)
走行時間:1時間01分
ジョルジュ・ブラック(1882~1963年)は、パブロ・ピカソらとともに20世紀に活躍したフランスの芸術家です。
岡崎市美術博物館での彼の企画展を鑑賞に行きました。
ブラックの特徴は、一つのモチーフを平面と立体で表現していることです。絵画、陶磁器、ジュエリー、彫刻、ステンドグラス、タピストリー、リトグラフ、モザイク画と、様々な形で表現されています。
例えば、「ペリアスとネレウス」という作品は、絵画あり、壷(陶器)あり、リトグラフありとバラエティ豊かです。
鳥、魚、馬、女性をモチーフにした作品が多いことがわかります。
これらの作品は陶器工房や職人によって造形されたものだそうです。
今回のような企画展、ブラックのような作家の作品展は初めてで、見ていて飽きが来ないし、単純に面白いなと思いました。
往路は東岡崎から美術博物館へ、復路は美合まで自転車で行きました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:14.3km(累積71km)
走行時間:1時間01分
2018年01月18日
567 三河の秋葉信仰-岡崎市美術博物館
★2018年1月14日(日) 晴
岡崎市美術博物館の無料招待券がありましたので、鑑賞に行きました。
フォールディングバイク TREK F600で出発。
しばらくペダルを回したところで、サイクルメーターが動かないのに気づきました。
センサーの位置が悪いのかと、確認しましたが、問題ありません。
これは電池切れか?
ボタン電池の買い置きがあったので、いったん家に戻りました。センサー部分はすぐに交換できましたが、本体の方は電池を入れ替えると、初期設定をしなければなりません。時間がかかるため、メーターなしで行くことにしました。
名鉄堀田駅から男川駅まで輪行し、丘の上にある美術博物館を目指します。欠町からは上り坂です。30分ほどで到着しました。
最終日とあって、大勢の鑑賞者で賑わっていました。
秋葉神社は全国各地に点在する神社です。その大本が浜松市にある秋葉山の秋葉大権現です。秋葉は火伏(防火)の神様です。
火は暮らしに欠かすことのできないものである一方、火事となれば人命や生活の基盤すべてを奪う危険なものです。充分な消防設備のない江戸時代では、火災への恐れは現代とは比べものにならないほど強いものでした。ですから、防火の神様である秋葉山への信仰は人々の心のよりどころとなったのです。
展示品の中で目を引いたのが「東海道写真五十三次勝景 前編下」です。五雲亭貞秀が1869年(明治2年)に、東海道沿いの宿と風景を鳥瞰で描いた作品です。展示品では袋井宿から岡崎宿まで描かれ、秋葉山へは掛川から分岐していました。
1716年の建築といわれる赤坂宿の大橋屋の写真もありました。旧屋号は鯉屋、次に高田屋となり、今の名称になりました。
街道(道)と宿は、参詣には欠かせないものです。参詣者が増えることで道が整備され、宿も充実します。
また、街道沿いには夜道の安全のため、常夜燈が設置されました。常夜燈は、現在で言う街灯の役目を果たしており、街道の道標として設置されていました。多くの常夜燈は石で造られています。三河地方には秋葉山の常夜燈が400ほど残っているそうです。
帰りは東岡崎駅まで走って電車に乗りました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:11.8km
(サイクルメーター電池切れのため、ルート・ラボで距離を測りました。)
岡崎市美術博物館の無料招待券がありましたので、鑑賞に行きました。
フォールディングバイク TREK F600で出発。
しばらくペダルを回したところで、サイクルメーターが動かないのに気づきました。
センサーの位置が悪いのかと、確認しましたが、問題ありません。
これは電池切れか?
ボタン電池の買い置きがあったので、いったん家に戻りました。センサー部分はすぐに交換できましたが、本体の方は電池を入れ替えると、初期設定をしなければなりません。時間がかかるため、メーターなしで行くことにしました。
名鉄堀田駅から男川駅まで輪行し、丘の上にある美術博物館を目指します。欠町からは上り坂です。30分ほどで到着しました。
最終日とあって、大勢の鑑賞者で賑わっていました。
秋葉神社は全国各地に点在する神社です。その大本が浜松市にある秋葉山の秋葉大権現です。秋葉は火伏(防火)の神様です。
火は暮らしに欠かすことのできないものである一方、火事となれば人命や生活の基盤すべてを奪う危険なものです。充分な消防設備のない江戸時代では、火災への恐れは現代とは比べものにならないほど強いものでした。ですから、防火の神様である秋葉山への信仰は人々の心のよりどころとなったのです。
展示品の中で目を引いたのが「東海道写真五十三次勝景 前編下」です。五雲亭貞秀が1869年(明治2年)に、東海道沿いの宿と風景を鳥瞰で描いた作品です。展示品では袋井宿から岡崎宿まで描かれ、秋葉山へは掛川から分岐していました。
1716年の建築といわれる赤坂宿の大橋屋の写真もありました。旧屋号は鯉屋、次に高田屋となり、今の名称になりました。
街道(道)と宿は、参詣には欠かせないものです。参詣者が増えることで道が整備され、宿も充実します。
また、街道沿いには夜道の安全のため、常夜燈が設置されました。常夜燈は、現在で言う街灯の役目を果たしており、街道の道標として設置されていました。多くの常夜燈は石で造られています。三河地方には秋葉山の常夜燈が400ほど残っているそうです。
帰りは東岡崎駅まで走って電車に乗りました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:11.8km
(サイクルメーター電池切れのため、ルート・ラボで距離を測りました。)
2017年09月12日
507 歌川国芳・水滸伝の世界
▲2017年8月31日(木) 晴
岡崎市美術博物館で開催中の「歌川国芳 水滸伝の世界」を観に行きました。
歌川国芳(1797~1861)は江戸時代に活躍した浮世絵師です。
水滸伝は12世紀の中国北宋を舞台に108人の豪傑達が集い、腐敗した国を替えるために戦う物語です。これを題材に豪傑の一人ひとりを武者絵として描いたのが「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」です。
また、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にまつわる浮世絵も展示されています。
ただ、どの絵も同じサイズで、図柄も同じように見えてしまいます。非常に精緻に描かれていますが、歌舞伎役者を描いたようにも見え、いまいち迫力に欠けます。
少し期待はずれの展覧会でした。
岡崎市美術博物館で開催中の「歌川国芳 水滸伝の世界」を観に行きました。
歌川国芳(1797~1861)は江戸時代に活躍した浮世絵師です。
水滸伝は12世紀の中国北宋を舞台に108人の豪傑達が集い、腐敗した国を替えるために戦う物語です。これを題材に豪傑の一人ひとりを武者絵として描いたのが「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」です。
また、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にまつわる浮世絵も展示されています。
ただ、どの絵も同じサイズで、図柄も同じように見えてしまいます。非常に精緻に描かれていますが、歌舞伎役者を描いたようにも見え、いまいち迫力に欠けます。
少し期待はずれの展覧会でした。
2017年07月26日
482 家康の肖像と東照宮信仰
▲2017年7月15日(土) 曇のち晴
徳川家康生誕の地・岡崎に相応しい企画です。
輪行で、往路は男川駅から岡崎市美術博物館へフォールディングバイクで行きました。
発見その1
家康は偉大な政治家であり、経済人であったことです。江戸幕府を開き、天下太平の基礎を築きました。250年間以上一つの体制が続くには、強固な組織体制や政治経済の仕組みができていなければなりません。それを作り上げた家康は、やはり偉人です。
発見その2
徳川歴代将軍は皆、書画に秀でていたことです。徳川将軍の肖像画は、狩野派の絵師によって描かれていますが、将軍自身も鳳凰図や梅鶏図を描いたり、書をしたためています。文化や芸術を愛する心が政権を長持ちさせた要因の一つであったのでしょう。
発見その3
家康の肖像画はその多くが左向きで、足の裏を合わせて座っていることです。あぐらで足の裏を合わせて座る姿勢は股関節の柔軟性がないとなかなかできません。こんな姿勢がよくとれるな、と思います。それとも絵の中だけの姿勢なのでしょうか。
帰りは急行も停車する美合駅まで行きました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:13.3km
走行時間:1時間1分
徳川家康生誕の地・岡崎に相応しい企画です。
輪行で、往路は男川駅から岡崎市美術博物館へフォールディングバイクで行きました。
発見その1
家康は偉大な政治家であり、経済人であったことです。江戸幕府を開き、天下太平の基礎を築きました。250年間以上一つの体制が続くには、強固な組織体制や政治経済の仕組みができていなければなりません。それを作り上げた家康は、やはり偉人です。
発見その2
徳川歴代将軍は皆、書画に秀でていたことです。徳川将軍の肖像画は、狩野派の絵師によって描かれていますが、将軍自身も鳳凰図や梅鶏図を描いたり、書をしたためています。文化や芸術を愛する心が政権を長持ちさせた要因の一つであったのでしょう。
発見その3
家康の肖像画はその多くが左向きで、足の裏を合わせて座っていることです。あぐらで足の裏を合わせて座る姿勢は股関節の柔軟性がないとなかなかできません。こんな姿勢がよくとれるな、と思います。それとも絵の中だけの姿勢なのでしょうか。
帰りは急行も停車する美合駅まで行きました。
使用自転車:TREK F600
走行距離:13.3km
走行時間:1時間1分
2017年05月31日
453 京の美人画 100年の系譜
▲2017年5月14日(日)午後 晴
岡崎市美術博物館で開催中の京都市美術館所蔵「京の美人画 100年の系譜」を夫婦で鑑賞してきました。
美人画は、女性の美しさを鑑賞の対象として描いた絵画です。日本では、特に江戸初期の風俗画に始まり、以後浮世絵の主流となって発展しました。
上村松園「晴日(1941年)」
由里本景子「望遠鏡(1940年)」
丹羽阿樹子「遠矢(1935年)」
印象に残った作品ですが、どれも女性画家の作品です。明治・大正・昭和時代の作品、特に戦時中の作品が多い印象でした。そして現在の京都市立芸術大学出身者が多いのも特徴です。
洋画と違って輪郭がはっきりしている作品が多く、柔らかく優しい感じがします。
女性画家たちは、美人画を通して、国家主義や家父長制度への反発、女性の自立を表現しているようにも思います。
そして、京都は空襲に遭わなかったため、こうした美術工芸作品が多く残っているのでしょう。
岡崎市美術博物館で開催中の京都市美術館所蔵「京の美人画 100年の系譜」を夫婦で鑑賞してきました。
美人画は、女性の美しさを鑑賞の対象として描いた絵画です。日本では、特に江戸初期の風俗画に始まり、以後浮世絵の主流となって発展しました。
上村松園「晴日(1941年)」
由里本景子「望遠鏡(1940年)」
丹羽阿樹子「遠矢(1935年)」
印象に残った作品ですが、どれも女性画家の作品です。明治・大正・昭和時代の作品、特に戦時中の作品が多い印象でした。そして現在の京都市立芸術大学出身者が多いのも特徴です。
洋画と違って輪郭がはっきりしている作品が多く、柔らかく優しい感じがします。
女性画家たちは、美人画を通して、国家主義や家父長制度への反発、女性の自立を表現しているようにも思います。
そして、京都は空襲に遭わなかったため、こうした美術工芸作品が多く残っているのでしょう。
2017年03月24日
422 暮らしのうつりかわり展
▲2017年3月10日(金) 晴
岡崎市美術博物館の平成28年度収蔵品展「暮らしのうつりかわり」を鑑賞しました。
かつては生活の主役であった道具や器具もテクノロジーの進展や生活様式の変化で、古くさく不便なものとなってしまい、今では全く見かけなくなった道具があります。
その一つが足踏みミシンではないでしょうか。脚で踏み板を踏み込むことで動かすミシンで、私の家にもこれがありました。母親は軽やかに踏み板を踏み、洋服を縫っていました。雑巾も瞬く間にできあがりました。
今は既製服を買い、服を縫う人はほとんどいません。雑巾ですら買う時代です。
展示されていたのは昭和35年製の足踏みミシン。RHYTHMブランドです。、当時の女の人が一番欲しかった道具の一つです。
白黒テレビも今はありません。素材や形が大きく変わった物の代表でしょう。カラーテレビになり、ブラウン管から液晶になりました。
テレビ放送が始まったのは昭和28年(1953年)のことでした。そのときのテレビの価格は175,000円でした。高卒公務員の初任給が5,400円の時代でしたから、一般の家庭ではとても買うことができませんでした。ですから、テレビのある家に知り合いや近所の人が集まってきて一緒に見たり、駅前やデパートなどの前に自由に見られる街頭テレビが置かれたりしていました。
ダイヤル式卓上電話機(黒電話)も懐かしいです。
私が小学校の頃、自宅に電話はありませんでした。お隣のヤマギワさん宅に呼び出し電話をお願いしていました。
一家に1台の時代になり、今は携帯電話やスマートフォンで一人1台の時代です。
展示の黒電話には
「より早く より明るく より親切に
県民サービス向上運動 愛知県」
のシールが貼られていました。私が勤め始めた頃の道具です。
役所や会社の代表電話番号に961-1111とか、51-2111とか、「1」が多かったのはダイヤルを回す間隔(時間)が一番短いからでした。
二層式洗濯機も姿を消しました。全自動洗濯機の時代になっても、私の実家では二層式洗濯機をかなりの期間使用していました。父親の汚れた作業着を洗うのには、この方が適していたからです。
懐かしい昔の道具達を見ていると、今の自分たちの暮らしがいかに便利になったか、楽になっているか、重労働から解放されているか、よくわかります。昔の母親の苦労が偲ばれ、改めて感謝の気持ちがわき上がってきます。
岡崎市美術博物館の平成28年度収蔵品展「暮らしのうつりかわり」を鑑賞しました。
かつては生活の主役であった道具や器具もテクノロジーの進展や生活様式の変化で、古くさく不便なものとなってしまい、今では全く見かけなくなった道具があります。
その一つが足踏みミシンではないでしょうか。脚で踏み板を踏み込むことで動かすミシンで、私の家にもこれがありました。母親は軽やかに踏み板を踏み、洋服を縫っていました。雑巾も瞬く間にできあがりました。
今は既製服を買い、服を縫う人はほとんどいません。雑巾ですら買う時代です。
展示されていたのは昭和35年製の足踏みミシン。RHYTHMブランドです。、当時の女の人が一番欲しかった道具の一つです。
白黒テレビも今はありません。素材や形が大きく変わった物の代表でしょう。カラーテレビになり、ブラウン管から液晶になりました。
テレビ放送が始まったのは昭和28年(1953年)のことでした。そのときのテレビの価格は175,000円でした。高卒公務員の初任給が5,400円の時代でしたから、一般の家庭ではとても買うことができませんでした。ですから、テレビのある家に知り合いや近所の人が集まってきて一緒に見たり、駅前やデパートなどの前に自由に見られる街頭テレビが置かれたりしていました。
ダイヤル式卓上電話機(黒電話)も懐かしいです。
私が小学校の頃、自宅に電話はありませんでした。お隣のヤマギワさん宅に呼び出し電話をお願いしていました。
一家に1台の時代になり、今は携帯電話やスマートフォンで一人1台の時代です。
展示の黒電話には
「より早く より明るく より親切に
県民サービス向上運動 愛知県」
のシールが貼られていました。私が勤め始めた頃の道具です。
役所や会社の代表電話番号に961-1111とか、51-2111とか、「1」が多かったのはダイヤルを回す間隔(時間)が一番短いからでした。
二層式洗濯機も姿を消しました。全自動洗濯機の時代になっても、私の実家では二層式洗濯機をかなりの期間使用していました。父親の汚れた作業着を洗うのには、この方が適していたからです。
懐かしい昔の道具達を見ていると、今の自分たちの暮らしがいかに便利になったか、楽になっているか、重労働から解放されているか、よくわかります。昔の母親の苦労が偲ばれ、改めて感謝の気持ちがわき上がってきます。
2017年02月01日
402 長谷川潾二郎展
▲2017年1月20日(金) 曇時々雨
東岡崎駅から名鉄バスで『美術博物館』で下車。岡崎中央総合公園内にある岡崎市美術博物館(マインドスケープ・ミュージアム)は近代的でオシャレな建物です。ここで開催されている「長谷川潾二郎展」に行きました。
長谷川潾二郎(1904年~1988年)は、戦前から戦後にかけて活躍し、画壇の世界に属さず、流行にも迎合せず自分の納得する絵を描き続けた画家です。
印象に残ったのは『芭蕉の庭』です。
芭蕉はバショウ科の大形多年草で、高さは4、5メートル、葉は約2メートルの長楕円形となります。その大きな芭蕉の下で少女2人が赤い敷物の上で向かい合って正座しています。少女は少し漫画チックに描かれていて、ワカメちゃんのような感じです。写実的でありながら幻想的で、遠近感があるようでないような不思議な絵に思えました。
もう一つ心に刻まれたのが、キャプション(caption)にあった「自由に歩き、絶えず新鮮な事物に触れて感動することが、自分の生き方の第一歩であった」という彼の言葉です。潾二郎は晩年股関節の病で自由に歩くことが困難になりました。しかし、アトリエから見える身近な風景や静物画を中心に描くことで筆を置くことを諦めませんでした。自由な歩行を奪われても創作活動を続けた彼の意欲と情熱に心を打たれます。
美術にしろ、音楽にしろ、芸術は仕事や生活で疲れた心を整えてくれるものです。
東岡崎駅から名鉄バスで『美術博物館』で下車。岡崎中央総合公園内にある岡崎市美術博物館(マインドスケープ・ミュージアム)は近代的でオシャレな建物です。ここで開催されている「長谷川潾二郎展」に行きました。
長谷川潾二郎(1904年~1988年)は、戦前から戦後にかけて活躍し、画壇の世界に属さず、流行にも迎合せず自分の納得する絵を描き続けた画家です。
印象に残ったのは『芭蕉の庭』です。
芭蕉はバショウ科の大形多年草で、高さは4、5メートル、葉は約2メートルの長楕円形となります。その大きな芭蕉の下で少女2人が赤い敷物の上で向かい合って正座しています。少女は少し漫画チックに描かれていて、ワカメちゃんのような感じです。写実的でありながら幻想的で、遠近感があるようでないような不思議な絵に思えました。
もう一つ心に刻まれたのが、キャプション(caption)にあった「自由に歩き、絶えず新鮮な事物に触れて感動することが、自分の生き方の第一歩であった」という彼の言葉です。潾二郎は晩年股関節の病で自由に歩くことが困難になりました。しかし、アトリエから見える身近な風景や静物画を中心に描くことで筆を置くことを諦めませんでした。自由な歩行を奪われても創作活動を続けた彼の意欲と情熱に心を打たれます。
美術にしろ、音楽にしろ、芸術は仕事や生活で疲れた心を整えてくれるものです。
2016年08月30日
340 軽井沢千住博美術館へ
●2016年8月20日(土) 曇一時雨
家族旅行で軽井沢に行き、千住博美術館を訪れました。
平成23年(2011年)に完成した建物で、開館5周年記念展が催されていました。
世間的には、千住博よりも妹でバイオリンニストの千住真理子の方が知れ渡っているでしょう。
千住博は日本画家ですが、蛍光塗料を使用した作品は日本画の雰囲気はあまりしません。
印象に残った作品は、岩絵具で描かれた『月響』です。崖を描いたものですが、私には月面のように見えました。
金屏風に描かれた『湖畔初秋図』と『湖畔に蜻蛉図』は、日本画と洋画が融合したような作品です。左の屏風には千住博本人とおぼしき男性の姿があり、湖畔を描写しています。右の屏風には蜻蛉を追っている若い女性が描かれています。二人の間は広く空いています。これから二人が出会いロマンスに発展するのか、それとも永遠に出会うことはないのか、いろいろ想像させてくれる作品です。
「The Fall room」という暗室の中にある『龍神』は、日本画と言うよりも現代アートです。蛍光塗料で描かれた滝は、通常照明では白く見え、紫外線を当てると青白い蛍光色となります。二つの光が交互に照らされることで、滝の色が変化し、水なのに宇宙のような感覚になるのです。神秘的でした。
美術館の建物自体も芸術的な造りです。なんと表現していいのかわかりませんが、自然の地形を活かして床は傾斜しており、建物の真ん中に木々があって、自然の中を散策しながら絵画を鑑賞できるように造られています。
一作家の美術館で大人1200円は少し高い感じはしますが、館を維持し運営していくためにはこれぐらい必要なのでしょう。
家族旅行で軽井沢に行き、千住博美術館を訪れました。
平成23年(2011年)に完成した建物で、開館5周年記念展が催されていました。
世間的には、千住博よりも妹でバイオリンニストの千住真理子の方が知れ渡っているでしょう。
千住博は日本画家ですが、蛍光塗料を使用した作品は日本画の雰囲気はあまりしません。
印象に残った作品は、岩絵具で描かれた『月響』です。崖を描いたものですが、私には月面のように見えました。
金屏風に描かれた『湖畔初秋図』と『湖畔に蜻蛉図』は、日本画と洋画が融合したような作品です。左の屏風には千住博本人とおぼしき男性の姿があり、湖畔を描写しています。右の屏風には蜻蛉を追っている若い女性が描かれています。二人の間は広く空いています。これから二人が出会いロマンスに発展するのか、それとも永遠に出会うことはないのか、いろいろ想像させてくれる作品です。
「The Fall room」という暗室の中にある『龍神』は、日本画と言うよりも現代アートです。蛍光塗料で描かれた滝は、通常照明では白く見え、紫外線を当てると青白い蛍光色となります。二つの光が交互に照らされることで、滝の色が変化し、水なのに宇宙のような感覚になるのです。神秘的でした。
美術館の建物自体も芸術的な造りです。なんと表現していいのかわかりませんが、自然の地形を活かして床は傾斜しており、建物の真ん中に木々があって、自然の中を散策しながら絵画を鑑賞できるように造られています。
一作家の美術館で大人1200円は少し高い感じはしますが、館を維持し運営していくためにはこれぐらい必要なのでしょう。
2016年08月29日
339 陶芸の森へ
●2016年8月14日(日) 晴時々曇一時雨
日本六古窯の一つ、信楽焼の町・滋賀県甲賀市信楽町にある滋賀県立陶芸の森に行ってきました。
私は陶芸に関しては全くの門外漢で、何の知識も素養もありませんが、子供が美大に行っている関係で訪れた次第です。
六古窯(ろくこよう)とは平安時代末期~安土桃山時代を代表する窯業地のことです。
・瀬戸窯(せとよう:愛知県瀬戸市)
・常滑窯(とこなめよう:愛知県常滑市)
・越前窯(えちぜんよう:福井県丹生郡越前町)
・信楽窯(しがらきよう:滋賀県甲賀市信楽町)
・丹波窯(たんばよう:兵庫県篠山市今田町)
・備前窯(びぜんよう:岡山県備前市伊部)の6窯がそれです。
陶芸の森には、陶芸館や産業展示室、窯の広場などがあり、焼き物に多少関心があれば素人でも楽しめる場所です。
信楽焼で有名なのは「たぬきの置物」でしょう。産業展示室の売り場でも、たぬきの置物が席巻していましたし、来園記念撮影場所もたぬき2体が並んでいました。
園内の最も高い場所にある星の広場には、各国の陶芸家による大きな作品が野外展示されています。『炎の人』は一瞬、鉄人28号と見間違うかのような作品でした。青い胴体、赤い腰回り……、万歳した両手が黄色の炎になっています。制作者はイタリアの作家だそうですが、横山光輝に感化されているとしか考えられません。
園の中心部は「太陽の広場」です。おそらく岡本太郎が太陽の塔のレリーフ「黒い太陽」を信楽で制作したことから、この名前がついたのでしょう。
駐車場の車止めがユニークでした。犬が寝そべった形をしています。その名も「おっとドック」。産業展示室で販売もされていました。7千いくらでちょっと高かったですけれども。
たまには焼き物をじっくり見るのも、心が落ち着くものです。
日本六古窯の一つ、信楽焼の町・滋賀県甲賀市信楽町にある滋賀県立陶芸の森に行ってきました。
私は陶芸に関しては全くの門外漢で、何の知識も素養もありませんが、子供が美大に行っている関係で訪れた次第です。
六古窯(ろくこよう)とは平安時代末期~安土桃山時代を代表する窯業地のことです。
・瀬戸窯(せとよう:愛知県瀬戸市)
・常滑窯(とこなめよう:愛知県常滑市)
・越前窯(えちぜんよう:福井県丹生郡越前町)
・信楽窯(しがらきよう:滋賀県甲賀市信楽町)
・丹波窯(たんばよう:兵庫県篠山市今田町)
・備前窯(びぜんよう:岡山県備前市伊部)の6窯がそれです。
陶芸の森には、陶芸館や産業展示室、窯の広場などがあり、焼き物に多少関心があれば素人でも楽しめる場所です。
信楽焼で有名なのは「たぬきの置物」でしょう。産業展示室の売り場でも、たぬきの置物が席巻していましたし、来園記念撮影場所もたぬき2体が並んでいました。
園内の最も高い場所にある星の広場には、各国の陶芸家による大きな作品が野外展示されています。『炎の人』は一瞬、鉄人28号と見間違うかのような作品でした。青い胴体、赤い腰回り……、万歳した両手が黄色の炎になっています。制作者はイタリアの作家だそうですが、横山光輝に感化されているとしか考えられません。
園の中心部は「太陽の広場」です。おそらく岡本太郎が太陽の塔のレリーフ「黒い太陽」を信楽で制作したことから、この名前がついたのでしょう。
駐車場の車止めがユニークでした。犬が寝そべった形をしています。その名も「おっとドック」。産業展示室で販売もされていました。7千いくらでちょっと高かったですけれども。
たまには焼き物をじっくり見るのも、心が落ち着くものです。
2014年12月06日
113 NHK放送博物館と東京ステーションギャラリー
■2014年11月28日(金)午後 曇のち雨
研修終了後、帰りの新幹線乗車まで時間があったので、入場無料のNHK放送博物館を見学しました。
ラジオ放送は1925年(大正14年)に、ここ愛宕山から始まりました。愛宕山が放送のふるさとと言われる所以です。
一番目を引いたのが国産初の録音機です。みかん箱ぐらいの大きさで、重さがなんと35キロもあるのです。オープンリールテープです。と言っても、デジタル世代の若い人は知らないかもしれませんね。
本体には「TOKYO TSUSHIN KOGYO」とありました。東京通信工業の製品です。これも知らない人が多いと思いますが、現在のSONYです。
そして懐かしい白黒テレビ。私が幼稚園の頃、東京オリンピックはモノクロで見ていました。
NHK総合放送が全面カラー化になったのが、1971年(昭和46年)のこと。大阪万博もまだ、モノクロで見ていたのでした。
デジタル液晶テレビ世代には、ブラウン管テレビを知らないことでしょう。その図体の大きさ、奥行きの深さに驚くに違いありません。
東京駅まで歩きました。
出光美術館か、三菱一号館美術館に寄ろうと思いましたが、展示内容がイマイチなので、東京駅に行ってみたら、駅舎の中に東京ステーションギャラリーを発見。
今まで何度も東京駅には来ていたのに、駅の中に美術館があるなんて初めて知りました。
「東京駅開業百年記念・駅の美術館で楽しむ13日間」が開催中でした。
入館料200円を支払って、エレベーターで3階へ。
東京駅の20分の1模型を使ったプロジェクションマッピングが上映されていました。臨場感あふれる音楽と、建物の凹凸を活かした美しい光の映像に魅せられました。
2階では、1914年12月に開業した東京駅舎創建当時のレンガ壁が、鑑賞できました。普段は保護のため、カバーが掛けられているのです。美術館の空間自体が美術作品となっているという、通常の展覧会とは一味違った面白い機会でした。
研修終了後、帰りの新幹線乗車まで時間があったので、入場無料のNHK放送博物館を見学しました。
ラジオ放送は1925年(大正14年)に、ここ愛宕山から始まりました。愛宕山が放送のふるさとと言われる所以です。
一番目を引いたのが国産初の録音機です。みかん箱ぐらいの大きさで、重さがなんと35キロもあるのです。オープンリールテープです。と言っても、デジタル世代の若い人は知らないかもしれませんね。
本体には「TOKYO TSUSHIN KOGYO」とありました。東京通信工業の製品です。これも知らない人が多いと思いますが、現在のSONYです。
そして懐かしい白黒テレビ。私が幼稚園の頃、東京オリンピックはモノクロで見ていました。
NHK総合放送が全面カラー化になったのが、1971年(昭和46年)のこと。大阪万博もまだ、モノクロで見ていたのでした。
デジタル液晶テレビ世代には、ブラウン管テレビを知らないことでしょう。その図体の大きさ、奥行きの深さに驚くに違いありません。
東京駅まで歩きました。
出光美術館か、三菱一号館美術館に寄ろうと思いましたが、展示内容がイマイチなので、東京駅に行ってみたら、駅舎の中に東京ステーションギャラリーを発見。
今まで何度も東京駅には来ていたのに、駅の中に美術館があるなんて初めて知りました。
「東京駅開業百年記念・駅の美術館で楽しむ13日間」が開催中でした。
入館料200円を支払って、エレベーターで3階へ。
東京駅の20分の1模型を使ったプロジェクションマッピングが上映されていました。臨場感あふれる音楽と、建物の凹凸を活かした美しい光の映像に魅せられました。
2階では、1914年12月に開業した東京駅舎創建当時のレンガ壁が、鑑賞できました。普段は保護のため、カバーが掛けられているのです。美術館の空間自体が美術作品となっているという、通常の展覧会とは一味違った面白い機会でした。
2014年05月19日
47 ブリヂストン美術館
■2014年5月16日(金)午後 晴
帰りの新幹線まで時間があったので、東京駅近くの美術館に行くことにしました。
丸の内の三菱一号館美術館に行ったところ、展示入れ替えのため休館中でした。
それではと、八重洲のブリヂストン美術館へ。
テーマ展では「描かれたチャイナドレス展-藤島武二から梅原龍三郎まで」が開催中。
矢田清四郎の「支那服の少女」
に心惹かれました。
収蔵作品では、印象派を中心とするヨーロッパの近代美術と明治時代以降の日本の洋画が展示されていますが、その中では、
カイユボット「ピアノを弾く若い男」
マリー・ローランサン「二人の少女」
ピカソ「生木と枯れ木のある風景」
が印象に残りました。
20世紀美術(抽象絵画)のコーナーは、何を表現したいのか私には理解できません。
帰りの新幹線まで時間があったので、東京駅近くの美術館に行くことにしました。
丸の内の三菱一号館美術館に行ったところ、展示入れ替えのため休館中でした。
それではと、八重洲のブリヂストン美術館へ。
テーマ展では「描かれたチャイナドレス展-藤島武二から梅原龍三郎まで」が開催中。
矢田清四郎の「支那服の少女」
に心惹かれました。
収蔵作品では、印象派を中心とするヨーロッパの近代美術と明治時代以降の日本の洋画が展示されていますが、その中では、
カイユボット「ピアノを弾く若い男」
マリー・ローランサン「二人の少女」
ピカソ「生木と枯れ木のある風景」
が印象に残りました。
20世紀美術(抽象絵画)のコーナーは、何を表現したいのか私には理解できません。