2015年10月31日

227 Jリーグ第2ステージ第15節(vsアルビレックス新潟)

◆2015年10月24日(土) 晴

 午後2時キックオフ。ポカポカ陽気で、ちょっと日差しが強いくらいです。
 パロマ瑞穂スタジアムでの最終戦。
 勝って、気持ちよく帰りたいところですが、パスミスが目立ち凡戦です。45分に先制され、前半終了。

 しかし、後半26分から立て続けに4点を取って、4対2の逆転勝ち。快勝です。
 4点すべてに永井謙佑が絡む、2得点2アシストの大活躍でした。
 特に、後半ロスタイムの“コロコロ”ゴールは、韋駄天の真骨頂でした。新潟DFの背後に転がったボールをめがけ、快足を飛ばし、前に飛び出してきたゴールキーパーと競り合い、先にボールにタッチしました。ボールはコロコロと転がり、そのまま無人のゴールへ吸い込まれるように入ったのです。こんなゴールは初めて見ました。

 「最初はどうなることかと思った」と家内が言うように、不甲斐ない試合運びでしたが、後半は見違えるように活性化しました。
 チャンピオンシップ進出の可能性も消滅し、J2降格の危機もないため、消化試合の感もありますが、少しでも順位を上げ、来季につながる戦いを、残り2試合もしてもらいたいものです。

  

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2015年10月24日

226 第11回渥美半島ぐる輪サイクリング

◆2015年10月18日(日) 晴

 秋晴れの絶好のサイクリング日和です。

 昨年まではスタッフの一員でしたが、今年は一参加者です。
 今年から愛知県サイクリング協会(ACA)は、主催者ではありません。渥美半島ぐる輪サイクリングは、参加者が千人を超える大きな大会です。事故やトラブルが起きたら、任意の親睦団体であるACAでは、とても責任を負えません。第10回までは、なんとか主催者を務めてきましたが、大会事務局で実質的な運営を担っている深谷産業株式会社に申し入れ、主催者を下りることになり、大会運営にも一切関わらないことになりました。
 今回から、渥美半島ぐる輪サイクリング実行委員会が主催者となっています。

 今日、コース上で2件の事故を目撃しました。
 1件は、太平洋ロングビーチ沿いの渥美半島サイクリングコースです。車止めの鉄柱の側で中年男性が倒れていました。下が砂浜状態になっていたので、滑ったか、あるいは余所見をしていて気づかずに鉄柱に激突したのだと思います。何人かの人が男性を取り囲んで、本部と電話連絡をしていました。

 もう1件は、伊良湖海水浴場横の見通しの良い直線道路でした。道路脇に何人かの参加者が集まっていたので、何事かと見てみると、顔から血を流している男性が仰向けに倒れていました。事故の原因はわかりません。車はあまり通らないし、激突する障害物もありません。他の参加者と接触して転倒したのでしょうか。

 2件ともサドルの上から一見しただけなので、詳しいことはわかりません。大事に至らなければ良いのですが。
 もし、死亡事故にでもなれば、次回以降の大会開催自体が危ぶまれます。

 正直、ACAは主催者を辞めて良かったと安堵しています。ACAは法人でもなく、全員がボランティアですし、誰も責任を取れないからです。

 さて、今日は、個人的にもトラブルに見舞われました。スタートして1時間、高松一色の交差点を横断したところでした。
 後輪がフワフワします。
 あれっ! 空気が抜けている!
 すぐ近くにバス停があったので、そこまで自転車を引き、タイヤを確認しました。何も刺さってはいません。それにリム打ちするような段差なども通過していません。
 これはチューブ自体の問題でしょう。バルブがバカになったのかな。

 とにかくチューブを交換しなければなりません。今日のタイヤはドイツのコンチネンタルです。これはビートが極めて堅くて、リムから外すにも、はめるにも大変な力を要します。
 タイヤ相手に悪戦苦闘していたら、年老いたお婆さんが近づいてきました。、
「パンクなさったか、○○モータースに連絡しましょうか。今日は日曜日で休みじゃけんど、来てくれるかもしれん」
「いえ、大丈夫です。」
 心配してくださったのは有り難いことですが、なんとかモータースの来てもらうほどのことではありません。

 しかしながら、非常に難儀しました。両手がしびれるほど痛くなり、結局、チューブ交換に30分を要する羽目になりました。

 10時半ちょうどに再出発。ロングビーチ北交差点を左折したら、コース係の警備員さんが撤収を始めました。どうやら私が最終通過者だったようです。

 赤羽根の道の駅ロコステーション前が最初のエードステイション・チェックポイント。
 スタンプを押してもらい、パンを頂きます。

 渥美半島サイクリングコース、国道42号線は快調に走れました。

 高台から望む恋路ヶ浜は、伊良湖岬で最大のビュースポットです。ほとんどの参加者は、ここで自転車を降り、しばしその眺めに酔いしれているようでした。

 伊勢湾フェリーが目の前にある第2チェックポイントでは、バナナと栄養菓子バナナバーを頂きました。芝生に腰を下ろして、海を眺めながらバナナを食べていると、安らぎます。このまま寝転んでいたい気分に誘われます。他の参加者もくつろいでいるようでした。

 伊良湖岬から石神までは全く平坦で気持ちよく走れます。八王子地区に至る県道は少し坂になっていますが、気にするほどではありません。

 第3チェックポイントは宇津江の海水浴場。ここではメロンを一切れ頂きました。渥美半島らしいサービスです。

 ここからゴールまでの約6kmは、昨年までコース立哨の任務のあと、通った道ですから、お馴染みの道です。

 ゴール時刻は13時31分。パンク修理がなかったら、もっと早く着いたでしょう。それに野田保育園北の交差点での渋滞もタイムロスでした。青信号の時間が短く、20分以上待ったでしょうか。スタートして間もない信号交差点だったので、サイクリスト達の長蛇の列ができていました。

 ゴール後のサービスで頂いたあさり汁は、あさり自体も美味しく、なによりあさりのエキスが染みた味噌汁が極上の旨さでした。お代わりをもらったくらいです。
 キッチンカーで好みの食べ物が選べるサービスも、今年からの新しい工夫でした。焼きそば、たこ焼き、チュロスなどありましたが、一番行列のできていた牛すじカレーを頂きました。肉の旨味が効いて美味しかったですね。

 1個800円のメロンを買って帰路に着きました。

使用自転車:Panasonic POSロード
走行距離:69.8km
走行時間:3時間06分
所要時間:4時間26分
  

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2015年10月24日

225 中山道で関ヶ原ウォーランドへ(浅野祥雲の作品を訪ねて)

◆2015年10月12日(月・体育の日) 曇のち晴

 浅野祥雲の作品を訪ねる企画第3弾の下見に行きました。
 目的地は、『関ヶ原ウォーランド』。
せっかくなので、中山道経由で行くことにしました。
 昨年5月2日に近江八幡の帰り、米原から、醒井、柏原、今須、関ヶ原、垂井と走ったので、2度目の中山道です。

 JR岐阜駅を出発し、西に向かいます。
 昨日図書館で借りてきた『ちゃんと歩ける 中山道六十九次 西 薮原宿~京三条大橋』をサイクルジャージの後ポケットに入れています。初めての道なので、地図と実際の道を比べ、交差点などでは、こっちで良いのか、あっちかなと、時折迷いました。
 「この道は旧中山道です」という標識や宿場間の距離を示した標識が、要所要所に設置されているので、ルートを外れることはありませんでした。

 清流長良川に架かる河渡橋を渡ると、河渡宿に入ります。
 河渡の一里塚跡の奥には松下神社が祀られています。文化12年(1815)、河渡宿は未曾有の洪水に見舞われ、時の代官松下内匠は、幕府の助成を得て、宿場全体を五尺余り(約1.5m)地上げしました。これに感謝した宿人が神社と顕彰碑を建立したのです。

 生津(なまづ)小学校前で地図を確認していたら、中山道ウォーカーの熟年カップルに「どちらまで行かれるんですか?」
「関ヶ原まで行きます」
「私たちは垂井まで歩く予定です」
 その後も何組かの歩き人を見かけました。東海道と同じように中山道もウォーカーがいるんですね。

 美江寺宿は瑞穂市にあります。樽見鉄道の踏切を渡ってから美江神社辺りまでが宿場の中心部のようです。神社の境内には高札場が復元され、「美江寺宿」の立派な石碑が建っています。

 大月浄水場公園にあった図書館でトイレを借りました。ここまで沿道にコンビニがなかったことに気づきました。

 小簾紅園(おずこうえん)・和宮遺跡は、孝明天皇の妹である皇女和宮が、1861年(文久元年)徳川家茂の元に嫁ぐため、中山道で江戸に下った折、呂久川(揖斐川)の呂久の渡しを利用した際に、

「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」

の和歌を詠んだという。このことを記念して、1929年(昭和4年)に開園しました。

 杭瀬川を渡ると赤坂宿。
 赤坂港跡? なぜこんな所に港があったの?
 海運業が盛んだった明治時代、豊富な流量があった杭瀬川は、舟運に好都合であったため、ここ赤坂の地に船留まりが造られ、赤坂港となったということです。当時は、材木、石灰、米などを名古屋に積み出していましたが、大正時代に美濃赤坂線の鉄道ができて、舟運業は衰退したのでした。

 そのすぐ脇に赤坂港会館があります。ハイカラな雰囲気の洋風建築の建物です。
 入館無料という文字に引きつられ、中に入ってみると、年配の女性から、解説を受ける羽目になりました。
「金生山をご存じですか」
「いえ、初めて来たので知らないです」
 金生山は、大理石や石灰がとれる山とのこと。石灰は鉄道で名古屋に運ばれるそうです。
 館内には金生山で取れた大理石で造られた壷や昭和時代の赤坂周辺の古い写真などが展示されていました。
「初めてでしたら、古墳に行ってみてください」

「昼飯大塚古墳」
「ひるめしおおつかこふん」? いえ、違います。「ひるい」と読むそうです。
 東海地方では最大級の前方後円墳とのこと。ただ、あまりに綺麗に整備されすぎて、人工物のような感じがしました。

 垂井宿には枡形が残っていて、道自体は当時の原形をとどめているようでした。ここで、初めてサイクリング人とすれ違いました。

 JR東海道本線と国道21号線を横切ると、大きな木がそびえ立つ垂井の一里塚が目に飛び込んできました。今日のコースの中で唯一塚が現存していました。しかも当時の姿のまま残っています。ただし、南側の塚のみです。中山道で完全に残っているのは垂井と東京板橋区の志村の一里塚だけで、貴重な遺跡です。

 再び国道を横切ると、旧道の面影を残した幅の狭い道に入ります。道の両脇に松が並んでいました。野上の松並木だそうです。
 関ヶ原東町からは旧道は途切れ、国道を走らなければなりません。

 正午を過ぎ、お腹が空いてきました。駅周辺なのに飲食店がありません。国道365号線を北上していたら、昭和の香りがする古い喫茶店がありました。この先に行っても飲食店はないだろうと思い、その店に入りました。

 「本陣」
 いかにも関ヶ原らしい店名です。
 お婆さん2人がウエイトレスで、おしゃれな雰囲気はありません。
 注文した焼きそば定食は、鉄板に乗って熱々ですが、なぜか目玉焼きが焼きそばの下にありました。

 午後1時過ぎ、目的地に到着。
 観光バスも停まっていて、意外と観光客がいました。
 関ヶ原ウォーランドは、天下分け目の関ヶ原の戦いを再現した合戦資料館です。
 園内では、徳川家康と石田三成の東西両軍の武将や足軽を極彩色のコンクリート像で再現しています。このコンクリート像の作者が浅野祥雲なのです。

 どの像の顔も同じように見えます。顔だけ見ると、家康も三成も区別が付きません。とにかくカラフル、そしてユーモラスでどこか漫画チックな作風は、日進市の五色園のコンクリート像と全く同じです。人によっては気味が悪いと感じるかもしれません。
 1964(昭和39年)開園ということで、かなり古い施設です。200体以上あるコンクリート像も、ペンキを塗り直し中の物もありました。
 30分ほど見学して、退園。入場料500円は妥当な線でしょうか。

 ここから垂井の追分までは中山道を走り、美濃路経由で大垣まで約18km。
 野上の松並木で、ローディ2人に抜かれました。

 奥の細道結びの地、大垣城前を通って駅に至ります。駅前商店街の金蝶園総本家で栗きんとんと金蝶園饅頭をお土産に買いました。
 もう少し余裕があれば見学したいところが沢山あったのですが、夕方になると電車が混んで輪行袋が他のお客さんの邪魔になります。

 15時26分発の豊橋行き特別快速に乗車し、帰路に着きました。

使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:62.7km
走行時間:3時間58分
輪行区間:
 往路 金山 7:57 → 岐阜 8:23(540円)
 復路 大垣 15:26 → 金山 16:06(840円)
  

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2015年10月16日

224 花と緑の夢マラソン

◆2015年10月10日(土) 曇

 愛・地球博閉幕10年を記念して、“自然の叡智”を感じ、学び、感謝するマラソンとして、花と緑の夢マラソンinモリコロパークが開催されました。
 第32回全国都市緑化あいちフェア応援事業なので、参加賞は鉢植えの花です。

 愛・地球博記念公園に来園したのは3年半ぶりです。公園西駅口が新しく設けられ、花壇など園内が美しく整備されているのに少し驚きました。

 メイン会場の芝生広場で着替えていると、隣に同年代と思われるおじさんが座っていて、フランク・ショーターのキャップをかぶっていました。
 懐かしいなぁ‥‥
 今の若いランナーは、フランクショーターランニングギアを知らないんじゃないでしょうか。

 フランク・ショーター(Frank Shorter)は、1947年生まれのアメリカの男子マラソン選手です。ミュンヘンオリンピックのマラソン競技でアメリカに64年ぶりに金メダルをもたらしました。
 日本にも馴染みがあって、1973年の毎日マラソン(現・びわ湖毎日マラソン)での出来事は伝説になっています。
 この大会に出場したショーターは、レース中にトイレに行きたくなり、沿道の観客の持っていた小旗(主催新聞社が配布するもの)を数本引きちぎり、それを手にしてコースを逸れてトイレで用を足しました。その後、そのままコースに復帰してレースを継続し、優勝してしまったのです。しかも、大会新記録のおまけ付きです。アクシデントがあったにもかかわらず、独走で優勝したのですから、ショーターの実力は抜きん出ていたのでしょう。この大会記録はその後12年間、更新されませんでした。

 その後、彼は、自身のランニングウェアブランド、フランクショーターランニングギアを立ち上げました。1978年に日本法人設立。アシックスからそのブランドは発売され、当時は八事の『ジョグ・コジマ』など限られたショップでしか手に入らなかったため、我々の年代のランナーには、憧れであり、定番の商品でした。
 私自身もフランクショーターのランパンやランシャツなどを今でも愛用しています。
 アシックスとのライセンス契約がなくなってからは、ショップで商品を見ることもなくなり、グッズを身につけている人も少なくなりました。
 今は、ネットでの販売が中心のようです。

 今日の大会の魅力は、普段はランニングすることができないサイクリングコースを走ることができることです。ここを反時計回りに、ハーフマラソンは4周、クォーターマラソンは2周します。
 午前9時45分にハーフがスタート、私がエントリーしたクォーターは10時10分にスタートです。

 コースはアップダウンを繰り返しますが、前半が上り基調、後半が下り基調のスネークロードです。無駄な距離を走らないよう、コース取りが大切です。前方の曲がり具合を予め見据えて、最短距離を走るようにするのです。

 鼻水が出て、痰が絡んで、体調十全ではなかったのですが、脚の方はリズム良く動いてくれました。
 1周目を通過したとき、時計を見ると29分。
 ちょっと、1時間を切るのは難しいか‥‥
 でも、前半のペースを維持できれば、いけるかな?
 周りのペースに惑わされることなく、タイムを気にすることなく、とにかくマイペース。

 それにしても、昨今のランニングブームで女性ランナーが多いですね。しかもファッショナブルな人が多い。
 私は今日、久々にランパン、ランシャツでしたが、スタートのとき周りを見ると、ランシャツ姿の人は自分以外には1人しかいませんでした。

 2週目に入ると混雑が解消されてペースが保ちやすくなりました。気合いも入れ直します。と言ってもペースアップしたわけではなく、前半のペースを維持するために馬力を上げただけです。

 周回を終え、サイクリングコースから芝生広場への坂道を下ります。若い人は勢いを付けてどんどん駆け抜けていきます。私は下り坂が苦手ですし、膝に悪いので無理はしません。

 ゴール手前、計測の時計を見ると、59分台でした。
 おっ! 1時間を切れた。
 イーブンペースを維持できた結果です。

種目:クォーターマラソン(男子)
記録:59分14秒
順位:85位/173人中
使用シューズ:asics T3
  

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2015年10月12日

223 探訪あいち 東海道スタンプラリー2015

◆2015年10月4日(日) 曇のち晴

 東海道は江戸と上方を結ぶ大幹線道路、それは21世紀の今も変わりません。

 今年で9回目の「トコトコ東海道」は、名所旧跡のスタンプとおすすめ店のスタンプをセットで5宿以上集めて応募すると、東海道の美味しい物産が当たります。このスタンプラリーをサイクリングで巡る探訪あいちを実施して、今回で7回目となりました。
 旧東海道の宿場や史跡、ルートはほぼ頭に入っていますから、地図やナビがなくても大丈夫です。
 昨年は鳴海宿から藤川宿までを往復しました。今年はその続きで、藤川宿から二川宿までを往復することにします。

藤川宿
 名鉄電車で、8時ちょうどに藤川駅に到着。美合駅から一緒になったFOCUSの山田さんと鉄のGIOSさんとともに、輪行袋から自転車を取り出し組み立てました。
 地元のコシダさんと茄子紺Trekさんが自走で現れ、全員が時間前に集合しました。
 残念ながら、Kuwanaさんは、昨日のブルベで疲労困憊のため、欠席となりました。

 道の駅藤川宿の開店は9時のため、ここのスタンプはゴール後に押すことにします。
 昨年、復元された高札場の前で最初の記念撮影をして、本宿へ向かいます。

 本宿の一里塚跡を過ぎると、法蔵寺の歴史ある境内が私たちを迎えてくれます。ここには、かの新撰組隊長、近藤勇の首塚があります。
 江戸で処刑された近藤勇の首塚が、なぜ岡崎の地にあるのでしょう。
 案内板によると、
 近藤勇は東京板橋の刑場で斬首、首は京都三条大橋西に晒されたが、同士が三晩目に持出し近藤勇ゆかりの京都誓願寺に持ち込みました。
 この塚は近藤勇と縁のあった京都誓願寺の住職がこの法蔵寺の住職になったため、土方歳三ら新選組の同士達とこの寺に埋めたと言われています。
 逆賊ということでわからぬ様埋めていたが、昭和33年京都誓願寺で記録が見つかり、また他にも文献が見つかって照合した結果、この地を掘り返し、台座や遺品なども出土したそうです。
 この塚は近藤勇の親族関係者の努力で整備され、胸像も建てられました。

赤坂宿
 今日1日で5宿のスタンプを集めたかったのですが、赤坂宿で1つしかないおすすめ店『どんぐり茶屋あかり』が土、日休みのため、4宿しか集めることができません。皆さんにお詫びします。
 やむなく、赤坂休憩所『よらまいかん』はパスです。
 安藤広重の浮世絵にも描かれている旅籠屋・大橋屋の提灯がありませんでした。古くなって吊り下げられなくなったのでしょうか。
 ところで、「赤坂」といえば、東京の赤坂が有名ですが、この地名は「赤土の坂」に由来し、全国各地に分布しています。また、中山道にも赤坂宿(岐阜県大垣市)があります。

 藤川から二川までの間には、藤川(岡崎市藤川町)、本宿(岡崎市本宿町)、長沢(豊川市音羽町長沢)、御油(豊川市国府町)、伊奈(豊川市小坂井町伊奈)、下地(豊橋市下地町四丁目)、飯村(豊橋市三ノ輪町)、二川(豊橋市二川町字東町)の8つの一里塚があります。ただ、現存している塚は一つもなく、いずれも跡地を示す石柱などが立てられているだけです。

御油宿
 東海道の両脇に600mにわたって続く御油の松並木は、最大の見所の一つと言って良いでしょう。夏は日差しを避け、冬は防風・防雪の役目を果たしていました。江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』のなかで、弥次郎兵衛と喜多八がここでキツネに化かされた話が描かれています。
 和洋菓子『御油おふく』で本日最初のスタンプを押してもらいます。私は下見のとき、黒ごまプリンを食べましたが、今日は昔ながらのプリンを食べました。優しい甘さで美味しいです。
 『御油の松並木資料館』に着いたのは開館時間の午前10時前。でも、係のおばさんは入館させてくれました。江戸時代の御油宿の町並みのジオラマや広重の浮世絵版画、近世交通文書などの資料が展示されています。

 御油の追分は、東海道と姫街道の分かれ道です。一昨年にはなかった木製の「姫街道」標識が設置されていました。

吉田宿
 高橋を渡ると、豊橋市に入ります。右手に魚市場があります。
 下地一里塚を過ぎると、まもなく右手に見える橋が「豊橋(とよばし)」です。この橋の名が現在の豊橋の語源に名なりました。

 豊橋(とよばし)の袂にある湊神明社に到着。
 吉田宿は伊勢へつながる湊町でした。この神社はそこに由来しているのでしょうか。
 社に近づくと、江戸時代の旅装束姿の若いお兄さんが出迎えてくれました。どうしてそんな姿で立っているのだろう、と思いましたが、次々とやって来るウォーカーで合点がいきました。今日は吉田宿で宿場まちウォークが行われていたのです。
 そのお兄さんは、「トコトコ東海道」のパンフレットのモデルも務めていて、一緒に記念撮影をしてもらいました。自転車ツーリングと江戸の旅装束との絶妙なショットです。
 吉田宿本陣跡は、今は、うなぎ屋『丸よ』になっています。
 豊橋市街地の曲尺手を通過すると、東八町からは交通量の多い国道1号線を走らなければなりません。

二川宿
 湊神明社からおよそ10km、最終目的地、三河と遠江の国境にある、二川宿へ。
 軍事上、直線的に攻められることを防ぐための枡形に曲がった道(サーキットのシケインみたいなもの)や本陣が残り、江戸時代の雰囲気が漂う町です。

 日蓮宗の寺院・妙泉寺にて、名所旧跡スタンプをセルフで押します。どのような謂われがあるのかわかりませんが、境内には自然石に刻まれた松尾芭蕉の句碑が鎮座しています。
 ヤマサちくわ二川店では、一品しか買わなかったのに、5人分のおすすめ店スタンプを押してくれました。
 お店のおばさんから、「皆さんかっこいいですね」。

 お昼ご飯は開店1周年の日本料理『富多川』にて。予約しておいた昼御膳は豚肉の冷しゃぶでした。ランチで1,296円は少し高めですが、それに見合った美味しさはあったと思います。先ほど買った一口ねぎ生姜はんぺんを皆さんに配り、彩りを添えました。

二川宿から帰路へ
 午後12時45分、二川出発。往路と同じ道です。
 スタンプを求め、吉田宿の『入河屋豊橋湊店』へ。350円から100円引きの次郎柿ソフトは売り切れ。ウォークラリーの人たちが食べ尽くしていったようです。代わりにみかんソフトを100円引きの250円にしてもらいました。

 復路は見学先がないので、御油の松並木公園で休憩だけでスムーズに走行できました。

おまけで岡崎宿へ
 3時過ぎに藤川宿まで戻れました。
 城巡りのスタンプも集めている鉄のGIOSさんは、岡崎城に行くとのこと。そこで、FOCUSの山田さんから提案があり、岡崎宿まで行ってスタンプ5セットを集めることにしました。
 豊川のコシダさんはここでお別れです。お疲れ様でした。

 せっかくですので、旧東海道ルートで行きます。
 ちょっと寄り道して、昨年も訪れた西大平蕃陣屋跡へ。大岡越前守忠相が三河国西大平一万石の大名として約3年間、住んでいた屋敷です。
 大平一里塚、岡崎二十七曲の碑を巡り、岡崎宿に到着。和菓子の『和泉屋』と『三河武士のやかた家康館』でスタンプをもらい、5宿分をゲット。
 これでプレゼントの応募ができます。
 当たって欲しいですね。

サイクリングコース
道の駅藤川宿(午前8時30分)→ 法蔵寺 → 御油の松並木 → 御油おふく【御油宿・おすすめ店スタンプ】→ 御油の松並木資料館【御油宿・名所旧跡スタンプ】→ 湊神明社【吉田宿・名所旧跡スタンプ】→ 妙泉寺【二川宿・名所旧跡スタンプ】→ ヤマサちくわ二川店【二川宿・おすすめ店スタンプ】→ <折り返し> →〔昼食:日本料理 富多川〕→ 和菓子入河屋豊橋湊町店【吉田宿・おすすめ店スタンプ】→ 御油の松並木公園 → 道の駅藤川宿【藤川宿・名所旧跡スタンプ&おすすめ店スタンプ】にて解散(午後3時10分)
距離:約68km、獲得標高:214m、
所要時間:6時間40分

参加者
FOCUSの山田さん、コシダさん、鉄のGIOSさん、茄子紺Trekさん、幹事
計5人

使用自転車:KHS Manhattan m451S
走行距離:78.8km
走行時間:4時間41分
  

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2015年10月11日

222 生き生き長寿フェア マラソン交流会2015

◆2015年10月3日(土) 曇のち晴

 少子高齢化社会を救うのは、老人です。
 元気な老人が増えれば、再雇用や定年延長・定年廃止する企業も増え、減ってしまう生産人口を補えます。介護を受けなくても健康的に生きることができる老人を増やすこと。健康寿命を延ばすことです。
 そのために有効なのは、体と頭を「使う」こと。筋肉や脳は使わなければどんどん退化するものです。“貯金”はできても、“貯筋”はできないのです。

 今日は元気な老人のマラソン大会です。
 私が、生き生き長寿フェアのマラソン交流大会のスタッフを初めてさせていただいたのが2005年でした。10年以上携わってきたことになります。
 毎年お目にかかる馴染みの顔もあります。

 11時半から、いのちの池5周コース、12時半から、同3周コースが実施されました。
 私は参加者の受付、給水、着順票の手渡しなどの受け持ちです。
 ゴール後、汗びっしょりで、倒れ込む方もいました。決して無理はしないでください。いくら頑張っても、“貯筋”はできないのですから。
  

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2015年10月09日

221 探訪あいち 尾張の城巡り 桶狭間界隈

◆2015年9月27日(日) 曇のち晴

 信長、秀吉、家康の三英傑を輩出した愛知県には、1000以上の城跡が存在するそうです。
 O矢さんが企画した今回の探訪あいちは、桶狭間の合戦にまつわる城や砦を巡ります。
 準地元なので、行き先のほとんどは訪れたことがありますが、新しい発見を期待して参加しました。

 大高緑地公園第2駐車場には、25人もの参加者が集まりました。いつものメンバーに加え、初対面の方も見えました。12歳の息子さんと親子で参加のお父さんもいます。子供ながら、24インチのGIOSのロードバイク、しかもビンディングペダルです。

 25人もいると、かなりの行列になりますし、とても目立ちます。住宅街を走っていたら、子供達から
「なに! これ! 自転車ばっか!」
「わぁ! すごい! カッコイイ!」
歓声が上がりました。
 彼らから見れば、おじさんやお爺さんがほとんどなんですけれど。

 さて、最初の訪問地、緑区の桶狭間古戦場公園は、桶狭間の戦いを表現したジオラマ公園となっています。中央には織田信長と今川義元の像が並んで建てられています。

 豊明市の桶狭間古戦場伝説地には、今川義元が戦死した場所を示す碑などがあります。ちょうど地元の観光ボランティアガイドの方が解説をしてくれました。合戦で使われた鎧甲がこの周辺で発掘され、隣の高徳院に保管されていることを初めて知りました。

 沓掛城は桶狭間の合戦前夜、今川義元が宿泊した城です。沓掛城址公園として本丸、二の丸、三の丸の跡が整備され、堀、土塁が残っています。
 ここで、地元豊明市のオカポンさんが、駆けつけてくれました。次の昼食会場まで40分ぐらい時間があるので、二村山まで案内してくれました。農作業中にもかかわらず、ありがとうございました。

 ランチは緑区のドン・キホーテ近くの『町屋カフェ 太郎茶屋 鎌倉』にて。表通りに面していないので目立ちませんが、おしゃれな和風カフェです。

 ロコモコランチ(1,100円)を注文。
 ロコモコは、ライスの上にハンバーグと目玉焼きがのった物です。これにドリンクとデザート付いています。このデザートがボリュームがあって、アイスクリーム、ゼリー、チーズケーキなどがてんこ盛り。ちょっと値段が高いかな、と言う思いを覆してくれました。

 善照寺砦は、織田信長が桶狭間へ出陣していった砦です。今は公園となっていて、当時の遺構は何もありませんが、眼下が良く見える高台で、敵陣の様子がうかがえたのでしょう。
 砦は、外敵の攻撃を防ぐための建造物、つまり合戦の要塞なので、基本的に高い所に造られるのです。ですから、そこに至る道はどこも急坂なのです。
 午後の訪問地は、いずれも急坂を上るところばかり。押して登る人もいる中、マウンテンバイクで参加して正解でした。

 鳴海城は、桶狭間の合戦では、今川方のクサビの城であったため、織田信長は周囲に善照寺砦・中島砦・丹下砦を築いて包囲しました。現在は主郭部が城址公園となっています。

 鷲津砦は、織田信長が今川義元の尾張侵攻に備えて、今川方の大高城の北東約700mの丘陵上に築かれました。

 氷上姉子神社は、「氷上山(火上山)」と称される丘陵上に鎮座し、熱田神宮の創祀以前に草薙剣(三種の神器の1つ)が奉斎された地といわれています。日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祀っています。
 神社に至る坂は、朝降った雨でまだ濡れていて、滑りやすくなっていました。さすがに危ないと思い、ここは自転車を押して登りました。

 大高城は、桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで有名です。現在は国の史跡に指定され、公園として整備されています。

 最後の訪問地、丸根砦は、初めての場所です。大高緑地公園から至近距離にありながら、全く知りませんでした。新しい発見です。
 ここは、織田信長が今川義元との領土争いの前線として鷲津砦や善照寺砦とともに整備した砦です。小高い丘陵地帯に築かれ、丘陵の北端が鷲津砦、南端が丸根砦で、大高川を挟んで目の前に大高城があるという位置関係です。

 身近な場所にも知らない道や場所あるものなんですね。
 今日の探訪あいちは30km弱と距離も短く、ポタリングペースでしたが、壁のような激坂で脚が疲れました。

使用自転車:cannondale Jekyll
走行距離:47.1km
走行時間:3時間31分
  

Posted by まつぼっくり at 00:20Comments(0)TrackBack(0)サイクリング

2015年10月07日

220 Jリーグ第2ステージ第12節(vsヴィッセル神戸)

◆2015年9月26日(土)午後 晴時々曇

 相性の良いヴィッセル相手に2対0の快勝。久々の勝利です。これで神戸戦11連勝。

 この試合、DF闘莉王がFWとして先発しました。ストイコビッチ監督時代はよく行われていた手段です。今日はこれが上手く機能しました。
 しかし、グランパスにはFWが何人もいるのに、なぜ闘莉王をFWで起用しなければいけないのでしょうか。FWが本職の選手は何をしているのでしょうか。悔しい、情けない、と思わないのでしょうか。もっと奮起してもらいたいものです。

 苦肉の策が運良く当たっただけで、長くは続かない気がしてなりません。
  

Posted by まつぼっくり at 00:12Comments(0)TrackBack(0)サッカー