2021年02月23日

1002 師長ウォーキング

■2021年2月7日(日) 晴時々曇

 午前中、妻の買い物に付き合い、午後は母が入居している老人介護施設に行きました。
 いつもなら車か自転車で施設に行くところですが、今日は片道約4キロ弱の道のりを歩いて行きました。

 その帰り、藤原師長(もろなが)の謫居(たっきょ)跡を訪れてみました。
 というのも、今日の中日新聞県内版に連載中の「あいちの民話を訪ねて」で「藤原師長の琵琶(名古屋市瑞穂区)」が掲載されていたからです。

 藤原師長は平安時代後期の太政大臣、貴族としての教養を重ねた人で、琵琶の名手でした。1179(治承三)年、後白河法皇と衝突した平清盛による政変で、師長は尾張国井戸田村(現在の名古屋市瑞穂区)に流されました。そのとき居住していた場所が謫居です。今は嶋川稲荷の中に石碑が建っています。

 瑞穂区には藤原師長にまつわる町名や橋があります。

 嶋川稲荷の南には「師長橋」と「師長小橋」があります。
 嶋川稲荷の北にある地下鉄妙音通駅の「妙音」は師長の院号です。琵琶の名手であった師長の奏でる琵琶の音色にちなんでいるともされます。

 パロマ瑞穂スタジアムの東には、師長の名に由来するとされている「師長町」という町名があります。

 新瑞橋バスターミナル東の山崎川に架かる「落合橋」は、師長が村長(むらおさ)の娘と恋に落ち、その娘と会うために落ち合っていた場所とされています。

 また、師長が赦されて都に帰ることになったとき、別れを惜しんだ娘は、土器野(現在の清須市、旧西枇杷島町)まで見送りに来たため、師長は別れ際に、愛用していた「白菊の琵琶」を形見として娘に贈りました。しかし、娘は悲嘆のあまりこの世をはかなみ、帰路で川に身を投げしてしまいました。娘の亡きがらは村人たちが捜しだし、琵琶と一緒に埋めて塚を造ったので、琵琶塚と呼ばれ、のちの「枇杷島」の地名の由来となったといいます。

 今はビル群になっている土地で開発により現存するものはありませんが、このような地名伝説があったことを知ると、ロマンを感じます。

使用シューズ:MIZUNO GX
歩行距離:8.0km
所要時間:1時間31分


Posted by まつぼっくり at 22:00│Comments(0)TrackBack(0)ウォーキング

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